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森羅塾

「人と人が出会うのが嬉しい」。
熟成が生み出す「化学反応」を愛す

自ら突き進んだ激動の日々

すぐれたノンフィクション作品に贈られる大宅壮一ノンフィクション賞受賞作家桐島洋子さんの半生は激動の日々です。1937年東京生まれ。太平洋戦争さなかの魔都上海で裕福な家庭の末娘として幼少期を過ごします。8才で帰国、没落した一家は葉山で慎ましやかに暮らしましたが、洋子さんは海に山にのびのびと育ちます。都立駒場高校を卒業、文藝春秋入社。9年間の勤務ののち65年には退社、世界を放浪する日々が始まりました。67年には記者としてベトナム戦争に従軍、68年からはアメリカに2年間滞在。世界放浪の間に2女1男を出産した顛末を記した処女作『渚と澪と舵――ふうてんママの手紙』を上梓して、執筆業で身を立てる覚悟を決めます。「物書きを生業にする」スパイスの誕生。洋子さん33才の時でした。
'72年に、アメリカ社会の影を描いた体験的文明論『淋しいアメリカ人』で第3回大宅賞受賞。その後も自由な発想、思い切った行動、痛快な筆致で多くの女性に影響を与えました。著作からは、洋子さんの無鉄砲とも思えるほどの思い切りのいい決断力が見えてきます。かと言って決して前向きなだけではなく、そこには将来を怖れ悩む姿もあり、同じ女性としてスパイスとして、励まされる内容です。3人の子どもを抱え、「30、40代は本当によく働いた」とご自分でも書いていらっしゃる通り、独立というよりも冒険、開拓というべき激動の前半生でした。


森羅塾で洋子さんの世界に触れる

現在は人生の収穫期として(インドの思想にちなみ「林住期」と命名)、東京とカナダのバンクーバーに拠点を置きながら古美術、ホリスティック医学、気功、精神世界、環境問題などに関わって日々過ごしていらっしゃいます。東京では2ヶ月に1度「森羅塾」を開催しています。ご自身の人生を11回に分けてお話しになる「千夜一夜物語」をメインに、時々開かれる専門家から健康に関するお話をうかがう「ドクターズトーク」も人気です。毎回20名ほどの受講生(塾生)が参加し、お話とその日のテーマに則した手料理で洋子さんの世界に触れることができます。洋子さんの歴史に日本史、世界史を重ね、そこにさらにそれぞれの人生をつなげながら聞いてほしい、という趣旨の2時間近くのレクチャーですが、洋子さんの痛快闊達なおしゃべり、美しい生活の息遣いが聞こえる空間、新しい仲間との出会いは、参加者に思いがけない化学反応をもたらして、塾生の間のエネルギーが増幅していくのが感じられ、それが何より嬉しいと洋子さんは言います。


人付合いのススメ

女友達とは、「年々歳々四季それぞれに衣食住の営みをいつくしんできた生活者としてのキャリア(中略)、移ろう歴史の中で働き続けてきた社会人としてのキャリア」を「互いに賞味するために集まる」(『女が冴えるとき』より)――。
「森羅塾では、何かをお教えしようなんていうおこがましいことは考えていないの。ここに集まって顔を合わせることそのものがテーマなんです」と語る洋子さん。お付き合い下手、パーティ苦手な日本人ですが、森羅塾の陰のテーマは「気楽に楽しむパーティ講座」なのだそうです。人と出会い刺激し合う、互いに志を高めあう。スパイス同士だって、誰かとつながり合って励まし合ったらきっと大きな力になるはずです。人との出会いの素晴らしさを知るために、まずは洋子さんの本をお読みになってみてはいかがでしょう!


作家桐島洋子さん

1937年東京生まれ。作家。都立駒場高校卒業後、文藝春秋入社。1965年退社、フリーライターとして世界を巡遊し、1967年には記者としてヴェトナム戦争に従軍。1968年からアメリカで暮らし、1970年、独身のまま三児を出産した経緯を描いた処女作『渚と澪と舵--ふうてんママの手紙』刊行。1972年に、アメリカの陰を描く体験的文明論『淋しいアメリカ人』で第3回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。著作、テレビ、講演などで活躍しながら子どもたちを育て上げる自立した生き方、考え方が多くの女性たちから支持された。子育てを終えた50代からはカナダのバンクーバーと東京に拠点を置き、環境問題、ホリスティック医療、気功、精神世界、骨董などに関心を深めている。代表作に『聡明な女は料理がうまい』『マザーグースと三匹の子豚たち』(文春文庫)『女が冴えるとき』(グラフ社)『女ざかりの美学 優雅な成熟の季節に』(角川文庫)『林住期が始まる 華やぎの午後のために』(海竜社)『ガールイエスタデイ わたしはこんな少女だった』(フェリシモ)『バンクーバーに恋をする 大人の旅案内』(角川SS)などがある。